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「いき」の研究

地唄舞の公演

       

マイミクさんの公演のお知らせです。

主演される俵野枝さんは、パリなどヨーロッパでもたびたび公演されています。
地唄舞という日本舞踊を、谷中の大雄寺で行います。
妹さんの赤坂蓮子さんは赤坂で芸者をされています。
俵野枝さんはこの後、スペインなどでヨーロッパ公演を行う予定です。

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「火の番をする女」~葵の上と地唄を紡ぐ尼の物語~

出演 俵 野枝
後見(6日のみ)赤坂 蓮子

照明 小関 英男
音響 今井沙也可
音楽編集 富樫 信也
制作 五藤 皓久

日時 9月6/7日
18時開演(*開場は開演の30分前)
@大雄寺 東京都台東区谷中6-1-26

■access
http://www.1cc.or.jp/map/map_daiouji.html
メトロ千代田線:「根津」一番出口or JR:「上野」公園口、「日暮里」、「鶯谷」
(言問通りの上野桜木交差点を目指してください)
入場料 2000円

予約/問い合わせ spectacle0809@yahoo.co.jp  
緊急の問い合わせ 090-1707-4457

■special thanks

大雄寺
胡蝶(人形作家)
UPS http://www.upsnews.co.jp/index.html
Xavi Comas (フライヤー)

俵野枝ウェブサイト

ヨーロッパ公演 9/17 - 12/2

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カーディフ城と孔雀、Light Cave

3年前くらいに撮ったカーディフ城と孔雀の写真が、旅行ガイドに掲載される(photoのところをクリック)。
こんな写真でもタイミング合わせには気を遣うので、ささやかだけどうれしい。
Cardiff Castle

久しぶりに面白い建築を見つけた。Light Caveというらしい。
昼間見てもぴんと来ないだろうが、暗くなってから中央の切れ込みが灯りで満たされる。曲線と棚田のような構成もいい。これだけ気の利いた建築がもっと増えればいいのだが。

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MiniCardsがやってきた

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(↑クリックで拡大)

アバウトミーのキャンペーンでもらったMiniCardsがようやく届いた。MiniCardsとは見ての通り、小型の写真入り名刺。厚みがしっかりしているのはいい感じ。また記載される事項は非常にシンプル。この割り切り方は、ある意味「いき」といえる。写真面は、つや消しだったのがちょっと意外。でもぴかぴかだと、指紋が付きやすいかな。写真は、ちゃんとだれかが考えてトリミングしてくれているらしい。細長くトリミングされるのだが、写真のポイントがきっちり収まっている。

私に会ったときは「MiniCardちょうだい!」と言ってみてください。運が良ければ好きなカードが選べます。

和太鼓の響き

富岡八幡宮太鼓の宴 ことぶき太鼓1

第12回富岡八幡宮・太鼓の宴「神々への響き」に行ってきた。昨年に続いて2回目である。昨今の神社は、場所によっては軽薄で偏狭な軍国主義賛美の風潮が嘆かわしいが、このような催しならもっと各地で見てみたい。太鼓は、この頃はやりの「サムライ」臭さがない、町人・農民の文化でもある。耳に入ってくる観客の会話からすると、出演者の家族が多いらしい。

私は太鼓についてなんの知識もない。だが、ざっとみるだけでも、太鼓には太鼓自体の大小、形状、音の強弱、高低、音質、打ち方の角度、打つ位置、速度、リズム、ばちの種類、打つ順番など多くの要素が絡むことが分かる。また鉦・笛・銅鑼・鈴などのその他の楽器もある。衣装、ばち投げ、小物などの演出もある。察するに、ばち投げには賛否があるのではないか。太鼓の技能そのものではないが、芸能であるから「見せ場」というものはある。お遊びの気楽さはむしろ好もしい。

ほとんどの演者は無表情である。和太鼓は無表情で打つという決まりがあるのかもしれない。能でも無表情の伝統はあるが。だが、ときどき実にいいカオで打っている人がいる。

参加グループの中では「すめらぎ」がよかった。名前にはちょっと驚いたが。洗練された複雑なリズムが心地良い。「ことぶき太鼓」の爺さんも格好良かった。

富岡八幡宮太鼓の宴 すめらぎ

富岡八幡宮太鼓の宴 ことぶき太鼓2

肩から掛ける太鼓が増えてきたようだが、エイサーの影響ではないだろうか。ご存じの方はご教授いただけるとありがたい。肩から掛けると、振り付けが自由になり、舞台内を演奏しながら移動できるという利点がある。だが和太鼓らしくはなくなるようでもある。むろん私は文化の変化に異を唱えるものではなく、今後どのように変わってゆくか楽しみである。

鬼灯とパンプキン


Ground Cherry 2
(クリックで拡大)

鬼灯市で買った鬼灯は、基本的にはそのまま鑑賞するものだ。鮮やかな朱色と形の面白さに、自然の造形の妙、すなわち自然美を感じる。風鈴と様々な方法で組み合わされてはいても、鬼灯自体を加工するわけではない。いわば、「自然美のための自然美」であり、それ以上でもそれ以下でもない。私はそこに「いき」を感じる。

これに対して、ハロウィンのパンプキンはそのまま鑑賞するものではなく、加工して楽しむ。それも、「人面に」加工するのである。少々乱暴な対比かもしれないが、ここに、日本と西洋の自然物に対する美意識の違いが対照的に表れているように感じる。この対比とは逆の例も見つかるだろうが、それらについては追々考えていきたい。

縁台

下町七夕祭り(というより、その「後の祭り」)にて。縁台というものをずいぶん久しぶりに見た。

縁台は、いくつかの点で「いき」である。まず、(客寄せのためとはいえ)無料で提供している「いきな計らい」であること。そして、ここには二人くらい腰掛けるのがよい、ということに艶がある。「縁台」という言葉の意味を考えてみたまえ。三人座るとだれかが野暮なのかもしれない。

「いき」の領域 1.2

図は、拙作の「『いき』の領域 1.2」である。これは、「いき」の相対的な位置を示す図であり、内部的な構造についてはまた別の図が必要になるだろう。ここで重要なのは、「いき」とは日常そのものではなく、やや離れてはいるが、奇想天外なものではない、ということである。「何かいい感じ」、something goodである。

この図は、いくつかの思索の出発点となる。

「何をもって日常性とすべきか」ということについては、「我々が共有している日常」ということになる。江戸や日本という狭い文化では、季語や枕詞で日常が共有されてきた。「いき」はそのような文脈では容易に成り立つ。だが、たとえば、互いの文化を知らない日本人とフランス人がいたとすると、彼らが互いに共通のものに「いき」を見いだすには、あらかじめ共通の文脈が必要になる。これは、よく探せばみつかるものだ。

サムライからチョウニンへ - カタナを捨てた僕たちは「心意気」で勝負する

ハリウッドだけでなく日本でも相変わらずサムライがもてはやされているが、これは浮世絵と同じように、逆輸入されたイデオロギーにすぎない。今の日本人の大半にはサムライの血など流れていない。また、それでよいのだ。
特に政治家などがサムライを気取るときは焼死、もとい笑止に感じる。あんたのひいじいちゃんは刀を振り回していたのか?
まあ、実際にそうだぜ、という人もいるだろうが、だからどうした、という気もする。
かといって、農耕民族と誇り高く自称できるほど農業に詳しい人間も日本人では少数派だろう。まあよくて「元」農耕民族というところか。
士農工商で、今の大半の日本人にあてはまるのは、士にあらず、農にあらず、工と商、すなわちチョウニンだ(どちらかというと商は「通」、工は「いき」と感じる)。そして、「いき」とはチョウニンの美学である。二本差しの権威に立ち向かう「心意気」で勝負する。サムライはすでに過去の亡霊でしかない。

ファッション雑誌での「かっこいい」と「かわいい」

あるファッション雑誌の中吊り広告で、「かっこいい」女と「かわいい」女を対比させていた。 「いき」は、この文脈での「かっこいい」に通じるものがあるような気がする。ただし女性の場合のみ。 「かっこいい」男の場合は、的はずれではないけど範囲が広すぎる。 kawaiiはいまや英語でも通じることがあるが、「いき」とは方向性が違う。

みなさんのお考えは?

花火が「いき」なわけ

花火が「いき」なのは、数秒しか続かない美に心血を注ぎ込む、職人の意地を感じさせるからだ。
年から年中、毎晩やって、しかも一度開いた花火がもし夜空に固定されていたら、醜悪なネオンと変わりない。桜と同じで、散るからこそ美しい。

それに加えて、(有料席というのもあるようだが)「だれにでも見せる」という太っ腹なところが「いき」なのだ。

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