鬼灯とパンプキン
鬼灯市で買った鬼灯は、基本的にはそのまま鑑賞するものだ。鮮やかな朱色と形の面白さに、自然の造形の妙、すなわち自然美を感じる。風鈴と様々な方法で組み合わされてはいても、鬼灯自体を加工するわけではない。いわば、「自然美のための自然美」であり、それ以上でもそれ以下でもない。私はそこに「いき」を感じる。
これに対して、ハロウィンのパンプキンはそのまま鑑賞するものではなく、加工して楽しむ。それも、「人面に」加工するのである。少々乱暴な対比かもしれないが、ここに、日本と西洋の自然物に対する美意識の違いが対照的に表れているように感じる。この対比とは逆の例も見つかるだろうが、それらについては追々考えていきたい。
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