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「いき」の領域 1.2

図は、拙作の「『いき』の領域 1.2」である。これは、「いき」の相対的な位置を示す図であり、内部的な構造についてはまた別の図が必要になるだろう。ここで重要なのは、「いき」とは日常そのものではなく、やや離れてはいるが、奇想天外なものではない、ということである。「何かいい感じ」、something goodである。

この図は、いくつかの思索の出発点となる。

「何をもって日常性とすべきか」ということについては、「我々が共有している日常」ということになる。江戸や日本という狭い文化では、季語や枕詞で日常が共有されてきた。「いき」はそのような文脈では容易に成り立つ。だが、たとえば、互いの文化を知らない日本人とフランス人がいたとすると、彼らが互いに共通のものに「いき」を見いだすには、あらかじめ共通の文脈が必要になる。これは、よく探せばみつかるものだ。

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コメント

まいどっ!

なかなか面白い図ですね~。ついでに敵対的買収と吸収合併と日常・非日常の図もお願いします(冗談です<w>)

今年は浴衣を作ったので、それを来て花火見物にでも行こうかと思ってます。

こんばんは。
いろいろお疲れさまです。
浴衣はいいですねー。
今年が過ごしやすい冷夏だとありがたいです。

どーやら冷夏ってわけにはいかないみたいですねー(笑)
ここ2・3日、松山はサウナみたいな空梅雨です。
領域図、おもしろいっすねー。こうやって図示されると、とても分かりやすい。ただ、美的価値におけるキッチュの座標位置が微妙かなーと思いました。粋そのものを意識すればするほど粋から遠ざかるってのと同じことがキッチュにも言えると思うんですね。現代ではキッチュがファッションやデザインのコンセプトの中核となってることって多々ありますが、意識的に施されたキッチュは、本来の意味ではもう既に<キッチュ>ではなくなっているのではないかと思わないでもないのです。そういう意味で、キッチュは本来の意味では、この図表の<変>の位置あたりにくる方が妥当なんじゃないかしら?

この図はいきですか?

この図や「いき」について云々すること自体は「いき」じゃないですよ。それは「いき」研究の第一原則です。我々はそれを承知でやってます。

ある方からこのサイトを紹介されて、初めて覗いてみました。
「いき」という、この括弧書きの語に反応してしまいました。
数年前、哲学者・九鬼周造の『「いき」の構造』を読んで
「自然」という言葉を巡って
あれこれ考えたことを思い出したからです。
彼は、いくつかの美的価値を三角柱の頂点において
あくまでも西洋の分析的な枠組みの中で「いき」を
説明付けようとしていたのですが、
そういう図解も、山本さんの試みられていることと
似たところがあるのかも?

たっくさん、
コメントありがとうございます。
九鬼の図はもちろん念頭にあります。九鬼が扱っていない範囲や視点も含まれる一方で、逆に「渋み」「地味」などについてはこの図には位置付けられていません。昔と比べて乱用され、意味が変わってしまった面もかなりあります。

mixiの方でも「いき」コミュニティがありますので、ご関心があればお知らせください。

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