サムライからチョウニンへ - カタナを捨てた僕たちは「心意気」で勝負する
ハリウッドだけでなく日本でも相変わらずサムライがもてはやされているが、これは浮世絵と同じように、逆輸入されたイデオロギーにすぎない。今の日本人の大半にはサムライの血など流れていない。また、それでよいのだ。
特に政治家などがサムライを気取るときは焼死、もとい笑止に感じる。あんたのひいじいちゃんは刀を振り回していたのか?
まあ、実際にそうだぜ、という人もいるだろうが、だからどうした、という気もする。
かといって、農耕民族と誇り高く自称できるほど農業に詳しい人間も日本人では少数派だろう。まあよくて「元」農耕民族というところか。
士農工商で、今の大半の日本人にあてはまるのは、士にあらず、農にあらず、工と商、すなわちチョウニンだ(どちらかというと商は「通」、工は「いき」と感じる)。そして、「いき」とはチョウニンの美学である。二本差しの権威に立ち向かう「心意気」で勝負する。サムライはすでに過去の亡霊でしかない。
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